「赦し」の意味が理解できた日のこと

前を向くには

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赦(ゆる)しという単語を日常生活で使うことは少ない。

だが、私はこの単語に出会ってから20年以上、「赦し」とはどういうことなのか知りたいと思っていました。

理由はよくわかりません。ですが、この単語に感じるものがあったからです。

最初に断っておくと私はクリスチャンではないし、神様仏様も信じていない。
ヤクルトスワローズファンのなので村神様は信じていますが・・・。

三浦綾子著書『氷点』との出会い

私が三浦綾子文学と出会ったのは小学生5年生の時。
当時、小学生5.6年向けの児童文学を読んでいたが、夏休みの宿題で読書感想文を出した時にクラスメイトから「こんな子供の本読んでいるの?」と馬鹿にされたのがきっかけ。
その時、6歳上の姉が玉置浩二氏のファンで、自宅に『氷点』のCDがあった。
その表紙にテレビドラマの主題歌とあり、すぐ側の本棚に原作本の『氷点』があった。

何気なく手に取って読んだら、あっという間に最後まで読んでしまった。
「目から鱗が落ちる」とはこのことか、と思うほどの衝撃だった。
それまで夢あふれる児童文学を読んでいたのも大きいだろう。
人間の奥底に潜む汚い部分を描いてある『氷点』を読み、「人間とは、こういうものだ」と感銘を受けた。

小学生5年生だった私は、教師や医者、看護師といった聖職者と呼ばれる人達が、必ずしも信じるに値する人間ではないことを知っていた。
(※私の両親は戦時中や戦後すぐに生まれた人なので、聖職者と呼ばれる人達は「正しい」と思い込んでいたのである)
当時の私は、慢性中耳炎による難聴と、その後に判明する難病による症状で医者や看護師と接する機会が他の子より多かった。

難聴といっても1/3は聞こえていた。
1/3ってどのくらい?と思う人は両耳に耳栓をしてみるとわかると思う。
「ほとんど聞こえない」と思う。
だが、補聴器を付けると内耳がダメージを受けるので、補聴器を付けることもできないまま普通学級に放り込まれた。

耳は聞こえにくいが補聴器もしていないので、難聴だと思われない。
そのうえ、原因不明の蕁麻疹じんましんや倦怠感などに悩まされた。
小学生が「怠いだるい」と訴えても、大人は「怠けてる」「甘えている」としか思わない。
蕁麻疹は目に見えるからまだいい。
聴力や倦怠感は周囲に理解されにくい。それは親姉妹(おやきょうだい)でも同じである。

周囲に理解されたいが、どう伝えればいいのかわからない。
そのうえ、耳が聞こえない分他人の発する気配に過敏になった。
表面上では良い顔をしている担任が自分の扱いに困っていることも良くわかったし、親には丁寧に接している医者が私を適当にあしらっているのも分かった。
だからこそ、三浦綾子文学に大きく惹かれたのだと思う。

「赦し」とは「ありのままの自分を」受け入れて生きること

『氷点』を読んだ私はその後も『塩狩峠』や『銃口』、『続氷点』などを読みあさった。
その中で気になった言葉が「赦し」である。
当時、周囲に理解されたいと強く思っていたせいだと思う。
そう、「赦し」とは周囲に受け入れられることだと、その当時は思ったのである。

だが、20歳の時に難聴が治り、30歳を過ぎてから小学生時代から続く倦怠感が難病によるものだと判明。
その後も仕事を続けていたが、次第に手脚のこわばりが強くなったことと、派遣契約が終了したので、仕事を辞めることにした。
小学生の時から仕事を辞めるまで私は毎日、母から「あと○日行けば休みでしょう。がんばりなさい」と言われながら家を出ていた。

その生活が終わることにほっとしながらも、本当にそれでいいのか悩んだ。
世の中にはもっと苦しい病気と闘っている人がいるのに、仕事をしないでいいのか。
ありがたいことに、今の主治医は信頼できる人物だったので仕事を辞めることを告げると「休むことも治療ですよ」と言ってくれた。
この一言で私は「赦し」の意味がわかった。

人には向き不向きがある。
電車に乗って会社に向かいながら「前に進め」と頭の中で唱えながら会社へ行くことは、自分の身体には合っていないのは自分で良く分かっていた。
だが、働くとはそういうものだと思っていたから、頑張って頑張って働いていた。

同世代の人達はみんな働いているか、結婚して子育てしているのだから、病気だからといって何もしないのはダメだ。
このような思い込みで自分で自分の身体に無理を強いてたのだ。
身体に無理を強いることなく、必要以上に我慢をすることもない。
病気は進行しているが、それでも通勤していた頃に比べると飛躍的に症状は改善した。

今の自分が無理せずにできること。
自分らしく呼吸ができる場所。
他人と比較して「ダメ」「できない」「無理」と卑下しない。
他人と比較して「勝っている」「自分の方が上だ」と優越感に浸らない。
「私は自由だ」と思えること。
それが「赦し」なのだと思う。

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