※本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。
2023年のWBCで大谷翔平選手が他の選手に言った「憧れるのをやめましょう」というフレーズが話題になりました。
私は2014年のソチオリンピックでの浅田真央さんを見て「憧れるのをやめよう」と決意をして、幼い頃からの夢を実現するべく動き出しました。
浅田真央さんが、ソチオリンピックでのフリーで演技をしたのは、ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第2番』でした。
振り付けをしたタチアナタラソワ氏は浅田真央さんのスケート人生をテーマに、振り付けをしたとインタビューで言っていましたが、いくつもの困難を乗り越える強さとしなやかさ、凜とした美しさが表現されたものでした。
私は、初披露の演技を見た時から、このプログラムは代表作になるだろうと思っていました。
ソチオリンピックでの不運な出来事もあり、伝説のフリーと称されるようになりましたが、ショートでの出来事がなくても、伝説のフリーと呼ばれるようになったと思います。
浅田真央さんの演技に勇気づけられた冬
その頃の私は、シェーグレン症候群と線維筋痛症が判明したものの、障害者年金を受給するレベルではなかったため、週3日のパートに出ていました。
当時は冬場ということもあり、脚全体がこわばって、お尻から下に木の棒がついているのではないか、と思うほどでした。
前に進んでいるつもりでも上手く脚が動かず、心の中で「歩け歩け」と呟きながら歩いていました。
正直、すぐにでも仕事を辞めたかったです。
ですから、パートのある前日は必ず寝る前に、浅田真央さんの演技を見て、通勤中はラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』を聴きながら出勤することで、自分を鼓舞して仕事に向かっていました。
昼休みも音楽を流しながら頭の中で、浅田真央さんの演技を再生しながら「今日も頑張る。人前で倒れるほど弱くない」と繰り返し思っていたものです。
しかし、その数ヶ月後に上司が代わったことで派遣切りにあって仕事を退職することになりました。
無職です!どうする医療費!!
仕事を辞めたものの障害者年金の申請も通らず、どうするか悩んでいました。
一度やめてしまうと、外へ働きに出る気力がなくなってしまったのです。
パート時間が短かったので失業保険も下りません。
ただ、パートをしながらクラウドワーカーでライターとして働いていました。
パートをしていた時は月に数千円でしたが、本格的に取り組み始めると多い時で年間30万近く稼ぐことができました。
年間の医療費が平均25万円なので、ほんの少し貯金に回せるぐらいです。
そのような生活を5年近くしていましたが、体が痛くてパソコンに向かうことができない日が出てきて記事の締め切りギリギリになることが増えました。さらに、注意力が無くなって誤字脱字を指摘されることが続き、やめました。
クラウドワーカーとして働いている時も、浅田真央さんの演技を見て「こんなふうに私も誰かを勇気づけたい」と、思って過ごしていました。
そう、何度も思っているうちに「いや、こんな状況だからこそチャレンジしよう」と思ったのです。
私は幼い頃から母の読み聞かせのおかげで本が好きになり、生まれてすぐ亡くなった2つ下の妹に、覚えた絵本の内容を聞かせていたそうです。
本を読むのが好きで読んでいるうちに、自分でも話を創りたいと思うようになりました。幼少期に難聴になった時、耳が聞こえるようになる将来が描けなかったので、作文に力を入れました。
実際、小学生時代に佳作を取ったこともあります。その後も暇があれば、物語の構想を練ってはあらすじを書いていました。なかなか本編を書くまでには至らなかったのですが。
大学卒業後も、通信教育で作詩や短編小説の勉強をしました。
年末に大賞が発表される日本作詩大賞でも佳作に入選しています。
さらにWEBライターとしての実績を積んでいたので、文章を書くことには多少自信がありました。
クラウドワーカーで文章力UPさらに夢の実現へ
小説投稿サイトに作品を出して読んでもらうことも、小説家への第一歩です。
1作目は原因不明の体調不良を抱えている女性に、シェーグレン症候群と線維筋痛症を疑って欲しいという思いで、ヒロインをシェーグレン症候群と線維筋痛症を抱えている設定にしました。
闘病記は書く方と読む方、どちらも辛いのでライトノベルにしました。
その後は、自分の努力ではどうにもできない逆境に立ち向かうヒロインを書いています。
宣伝用にTwitterを使っていると、同じように小説を投稿している人達と繋がることができました。
「いいな~」と思っていたら、何もできません。
憧れるのをやめて、実行してみると世界が広がると思います。